韓国と日本という2つのアジアの血を受けた優作は、異父兄2人と共に、
母かね子の女手ひとつで育てられる。 なお、戸籍上は、 届け出が遅れたために1950年9月21日が出生日になっている。 |
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'57 | 下関市の神田小学校に入学。 | |
'63 | 文洋中学に入学。 | |
'66 | 下関市立第一高校に入学し野球部に入部。 | |
'67 | アメリカ在住の叔母を頼り渡米し、弁護士になることを夢見る。 アメリカでシーサイド大学の付属高校に入学。が、 まもなくヒッピーまがいの生活に入る。 | |
'68 | 帰国。私立豊南高校夜間部普通科の4年生に途中編入。 | |
'69 | 豊南高校夜間部を卒業。六月劇場に研究生として入団。裏方修行を積む。 | |
'70 | 関東学院大学文学部英文科に入学。 黒澤明監督の自宅を訪れ、 三日間座り込んで弟子入りを迫っが、 監督に一目会うこと無く断られる。 | |
'71 | 金子信雄の主催する劇団「新演劇人クラブ・マールイ」の演劇教室に
生徒として入団。 そこで熊本美智子と出会う。 | |
'72 | マールイの研究生となった。しかし文学座を再度受け、
合格し 文学座付属演技研究所十二期生となった。関東学院大学に中退届けを提出。 | |
'73 | 「太陽にほえろ!」にゲスト出演。
「狼の紋章」のオーディションを受け、合格。 7月20日放送の「太陽にほえろ! ジーパン刑事登場!」でジーパン刑事こと柴田純役として レギュラー出演。 昔の劇団仲間と「F企画」という劇団を作る。 | |
'74 | ジーパン刑事の殉職シーンの撮影。 | |
'75 | 優作の誕生日である9月21日、熊本美智子と同棲4年目にして結婚。 | |
'79 | 初のワンマンドラマ「探偵物語」でTV復帰。 このドラマで後に妻となる熊谷美由紀に出会う。 | |
'80 | 独立して、「夢家」という事務所を構える。 | |
'81 | 優作は美智子と暮らした家を出て、 美由紀と恵比寿のマンションで暮らし始める。 | |
'82 | アサヒビールのCMに出演。優作にとってCMは初めて。 | |
'83 | 「家族ゲーム」でキネマ旬報主演男優賞をはじめ、数々の演技賞を受賞。 美由紀との間に長男龍平が誕生したのを機に入籍。大晦日の夜 、母のかね子が脳卒中で倒れる。 | |
'84 | 1月16日の午後、かね子が息を引き取る。 | |
'85 | 「それから」も数々の賞を優作にもたらした。 | |
'89 | 「ブラックレイン」撮影中から体調の優れなかった優作だったが、
ついに11月6日午後6時45分、 膀胱がんのため武蔵野市緑町にある西窪病院にて 永眠。享年39歳。 彼がLady Janeに残したボトルナンバーは彼の命日と同じ116。 彼の友人であり、映画"竜二"で脚本・主演を果たした金子正次も6年前の 同じ11月6日に亡くなっている。 西多摩霊園にある彼の墓には、美由紀により「最も優作らしい言葉」 ということで”無”と刻まれた。 |
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